母の日記
2008年3月21日(金)晴れ
昨夜はマンションで泊まり、持ち帰った母の日記を読みながら涙を流しました。
日記にはところどころ身体の痛みが治らない悩みが書かれています。
ちょくちょく逢っていたのにそんなことは一言も言わなかった母、2年前には子宮ガンの検診でひっかったことが書かれてありました。
いっしょに住んでれば無理やりでも手術を受けさせたのに、もうそんなころからガンに侵されていたのかも知れない。
最後は親孝行できたと喜んでた自分が恥ずかしい。
日記の行を追うづつ、いろんなことが分かってきて、
平凡な人生を送っていたように思っていたけど、決してそんなことはなかった母。
母の足跡を追って
今日はいい天気!ドライブがとっても気持ちいい。
葬儀社へ支払いするお金を下ろそうと近くの郵便局へ寄ると「在庫(お金が)が50万円しかないので本局へ行ってほしい」と言われた。
丸亀の郵便局では1時間ほど待たされてやっと下ろすことができた。これではみんな郵便局は利用しなくなるだろう。
保険の請求に必要な書類に、母の誕生から亡くなるまでの特別な戸籍謄本が必要で、丸亀市役所に寄り母の戸籍謄本を取る。
その後、丸亀以前に満濃町で住んでたことがあり、まんのう町役場へ、謄本を取るとそれ以前の謄本が三木町役場にあることが分かり貰ってきた。
謄本を詳しく見ると、戦争前後のある期間が抜けている。
どうも高松市役所にその間の謄本があるようだ、気が付いたときには夕方5時を回っていたので後日行くことにした。
母の病気が分かったころ、母に昔の話しを聞き出していたのを書き留めたメモがあって、姉といっしょに謄本や写真と照らし合わせ、母の足跡をつなぎ合わせるけれども青春期のあたりがなかなか繋がらない。
夕食はグリーンハウスのステーキ
今日は葬儀の支払いや、石屋さんに母の銘をお願いして一段落したこともあって姉と労をねぎらいました。
母が好きだったファミレス「グリーンハウス」、いろんなことがあった一週間です。
この先まだまだやらないといけないことがあるのですが、ここは豪華にステーキで元気をつけようと奮発です。
この歳になって分かった母のこと、この歳だから母のことを理解できるのかも知れません。
姉と母の思い出を話しながらも、まだ知らなかったことがたくさんあることに気がつきます。
母のことを知るには、まだまだ時間が要るようです。